ネヴァ河のほとり

松田十刻氏による山下りんの評伝小説「ネヴァ河のほとり」を読みました。

山下りんは日本の女性洋画家の最初期の画家であり、帝政ロシアに留学しニコライ堂の聖画を描いた日本初のイコン画家として知られています。

留学と聞くと何やらセレブな感じがしますが、山下りんさんの留学は半ば命懸けの大変なものだったようです。

遣唐使船が4隻で行って2隻沈んだのに較べればまだ楽だったかも知れませんが(空海も難波し命辛辛上陸しています。)

何しろ予算も限られているし、人種差別も有ったのでしょう。船旅では船室もとってもらえず食事は残飯と言う過酷さです。しかも急遽代役として振られた留学でしたのでロシア語も満足に話せません。

着いた先では美術学校では無く女子修道院に入れられ、型式が定まった伝統的なイコンの描法を強要されます。

今日残る山下りんのイコンは、ラファエロやレオナルドを感じさせる画風です。それでいて画家の思いや正教会のビジョンを伝えるものとなっています。しかしながらロシアでの修行時代は平面的な(当時の山下りんにとっては)陰鬱な絵を延々と描かされ、ラファエロの様な絵を描きたかった山下りんさんは相当苦しんだようです。

結果的にはもともと相当な画才を持ち真面目な山下りんはハリストス正教会の日本初のイコン画家として大成し、沢山の作品を正教会に納めます。その作品は信仰の為に描かれたものなので普通の絵とは扱いが異なります。基本的に山下りんのイコンは私有出来ません。(法的には可能かも知れませんが絵の立ち位置としてはそうなります)正教会が以前より数を減らしている現在、山下りんのイコンも大分数を減らしてしまったようです。

現在では信仰とは別の次元である美術的な意味で山下りんの作品は注目されており、修復や保存の動きも多少有るようです。

信仰の為に描かれたイコンが美術的な意味で注目されるのは、山下りんにとって嬉しい事なのか皮肉な事なのか分かりません。

ニコライ堂にイコン画家として住み、人生をイコン描きに捧げた山下りんにとって、描く事は生きる事でした。描いたものがどうなるかは、それこそ神様の思し召しなのでしょう。

ウクライナの戦争はまだ終わりません。ロシアの国民は政府に情報を制限されだまされているのでしょうか?不毛な戦争が少しでも早く終結するよう祈ってやみません。

加えて、ロシアの文化が好きな自分としては、ロシア系の方々が差別や嫌がらせを受けている報道を受け悲しい思いをしております。戦争を早く終わらせ、平和な世界を実現する為に、力や権限を持つ人達は尽力願います。

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