生きる場所も死ぬ場所も

絵を描くと言う行為は、楽しいものである。まあ、一般論としては。

美大受験くらいのレベルで、まぶたが痙攣したり、ブラックアウトしたり、倒れたりするようになる。

さらに自分の絵で勝負するとなると、まあ、ギリギリ限界まで自分を追い込む事になる。まさに生死がかかったお絵描きである。

そう言う世界まで足を踏み入れる人は一部かも知れないが、ある程度確実に居る。お正月に以前グループ展を一緒にやった仲間と話をした時、そう言う感覚の話題が出た。お互い、良く生きてると思う。

今日、締切に追われて絵を描いていると、不思議な感覚にとらわれた。自分が探していたものが見つかった感覚だ。

自分は、求めるものは自分の中に有るんだろうと思っていた。そう考えて描き続けている人も多いだろう。でも違った。

答えは、画面の中に有るのだ。と言うか、画面の中にしか無いのだ。何と単純かつストレートな答えであろうか。

これは自分の求めるものの話なので、人によってそれぞれ求めるものは違うだろう。でも、自分の場合は答えが出た。

考えてみれば、絵描きの生きる場所も死ぬ場所も画面の中である。そこに求めるものが有るなら、後は画面にひたすら耽溺するのみ。

今日は探していた自分の死に場所が見つかった気分だ。こんな近くで自分を待ってくれていたとは。長年気付かず悪いことをした。久し振りに少し深く潜ろうかな。

 

 

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