マルカン大食堂

父と三戸と盛岡の墓参に行ったついでに、かつて住んでいた花巻を訪れ、小学校の頃の友達とマルカン大食堂に行きました。

平賀家のルーツは分かっている限りでは、平安時代、坂上田村麻呂の遠征の際、負傷し花巻あたりに土着した士族との事です。ですから、昔から花巻との地縁は有ったみたいです。

三戸は父の一家がかつて住んでいた所で、大叔母二人のお墓が有ります。平賀家の跡は空き地になり、草が茂っていました。

盛岡には、平賀のお墓の他に母方の祖母の実家のお墓が有ります。祖母の父は教育者で、石川啄木の通った甲南義塾の創設者でした。

盛岡で父と一旦別れ、自分は花巻へ向かいました。花巻に住んでいたのは小学校三年の夏から、五年の夏まで。当時の友達のN君が久し振りに会おうと時間を作ってくれました。有難い事です。

マルカン大食堂は、健在でした。震災の影響でマルカンデパートは閉店したのですが、食堂はあまりに人気が有ったので1階売店と6階の大食堂のみ営業しています。

N君はそれなりに偉くなり貫禄も付きましたが、すぐ分かりました。サービス精神旺盛な所は子供の頃と変わりません。

マルカンを再建したのは地元の名家の若社長なのですが、花巻に住んでいた頃斜向かいのご近所で、父と仕事のお付き合いも有ったお宅です。世の中狭いものです。

さらに、小学校の同級生でプロレスラーになっていたのが居るとのことで驚きました。新日出身のマスクマンで、エルサムライと言うベテランです。レスリングで実績を作って、猪木さんに直談判してプロになったそうで、やるもんですね。

花巻は大分変わっていましたが、変わらないものも有り、住んでいた官舎は事務所になっていましたが建物はそのまま残っていました。今回行かなければもう観れなかったものも有り、N君のご厚意のおかげで楽しく有意義に過ごす事が出来ました。

マルカン食堂では、名物のナポリカツ(ナポリタンのレタスのサラダとチキンカツ添え)と10段巻の巨大なソフトクリームを頂きました。美味しかったなあ。是非また来たいものだと思いました。

新花巻で父と合流し、帰京しました。盛岡はともかく、父と三戸の墓参に行く機会はもう多分無いだろうと思うと、行けて良かったです。本当に。

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